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新潟の水俣病

今年は水俣病「公式確認」50年。1956年5月1日、新日本窒素(現・チッソ)水俣工場附属病院の院長・細川一医師(故人)が、水俣保健所に「原因不明の神経疾患が多発している」と報告した日をもってそう呼ばれている。
一方、「第二の水俣病」である新潟水俣病は、昨年が「公式確認40年」だった。1965年5月31日に新潟大学の椿忠雄・植木幸明教授が新潟県衛生部に「原因不明の有機水銀中毒が阿賀野川下流域に散発している」旨報告、6月12日にこれが正式に発表されている。

41年前の昨日だ。

2年後の1967年6月12日、新潟水俣病の患者家族が、昭和電工を相手取って訴訟を提起。最初の本格的な公害裁判と言われる。


このころの、水俣と新潟をつなぐ動きなどについては、『苦海浄土』にも描写されている。1959年の「見舞金契約」以来沈黙を強いられてきた患者家族の人たちがふたたび声をあげるのに、新潟の動きが大きな力になったことがよくわかる。

新潟で患者さんの支援をずっと続けている旗野秀人さん@冥土のみやげ企画(何と秀逸なネーミング!)とは、私たちもご縁がある。

また、新潟水俣病を生きる人々を描いた映画『阿賀に生きる』の監督・佐藤真は、1980年代はじめに砂田さんの巡演を東大に迎えた学生グループの仲間だった。

ブログを巡っていて、こんな記事もみつけた。上記の冥土のみやげ企画でも本が出ている「参ちゃん」の話だ。

新潟とのご縁もまた、大切にしていきたい。


管理人のひとりごと | コメント(0) | トラックバック(0)2006/06/13(火)11:27

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